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えべっさん! 十日えびすとは?

商売繁盛で笹もってこい!!

えびす神社のことを関西人は「えべっさん」と呼ぶことが多いです。えびす神社には福の神えびす様がまつられています。つまり「えべっさん」とはえびす様を親しみを込めて呼ぶ関西弁なのでしょう。

関西にはえびす神社がたくさんあって、毎年1月9日~11日に参拝し、商売繁盛や開運招福を祈願します。これを十日えびすと言います。

1月9日は「宵えびす」、1月10日は「本えびす」、1月11日は「残り福」と言います。

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商店や会社を経営する人、個人事業主の人はもちろんのこと、雇われ人も、単にお祭り騒ぎが好きな人も…たくさんの人が十日えびすを訪れるので賑わいます。

神社の境内には日本酒の一升瓶や大マグロやコメや菓子類などたくさんのものが奉納されています。

参拝客はお賽銭箱に向かって賽銭を投げ入れます。本当なら丁寧に入れるべきなんでしょうが、あまりに参拝客が多い混雑時には投げ入れる人も結構いるのです。景気のよい時代ならお札を入れる人ももちろんたくさんいるのです。ゆっくりと拝む時間もないような込み具合の時は、手を合わせて、さっさと参拝を済ませて、人の流れに沿って歩いてゆきます。

ゆっくりじっくりと拝みたい人は、特別祈祷を申し込むのが良いと思います。やや値が張りますが、落ち着いて座って参拝できます。

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神社の中には「商売繁盛で笹もってこい」というお囃子が聞こえることもあります。

は竹と同様に常緑で繁殖力・生命力が強い植物で、日本では古くから愛されてきました。この笹に神社のお札や縁起物の飾りをつけて、仕事場に飾ります。

縁起物の飾りは「吉兆」とよばれます。大判小判、丁銀、米俵、鯛、あわびのし、打出の小づち、銭袋、末広、立烏帽子、升、臼などです。「野の幸」「山の幸」「海の幸」を象徴したものだそうです。奮発して吉兆をたくさんつける方もいらっしゃいます。

笹ではなく、熊手にこれらの「吉兆」をつけたものも売られていることがあります。熊手は福や金運をかき集めるという意味だそうです。また福箕(ふくみ)に「吉兆」がつけられたものも売られていることがあります。福箕とはもともと穀物を振るいにかけるための農具だそうで、幸せをすくいとるという意味の縁起物のようです。

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福娘さんたちの優しい笑顔はステキです。寒さを忘れさせてくれます。福娘さんは十日えびすで奉仕していらっしゃる若い未婚の女性で、多数の応募者の中から選ばれた方です。

また兵庫県の西宮神社はえびす宮の総本社ですが、開門神事福男選びで有名ですね。1月10日午前6時、表大門の開門と同時に猛ダッシュで参道を走り抜け、真っ先に本殿へ到着した参拝客が「福男」と呼ばれます。ニュースでご覧になった方も多いでしょう。

 

参道にはたくさんの出店が並び、ソースや醤油の焦げる香り、甘い砂糖やバターの香りが漂っています。参拝を済ませたら、出店で腹ごしらえをするのもいいものです。庶民のささやかな楽しみです。とくに子どもにとっては、うれしいイベントだと思います。普段は質素倹約の我が家も少し財布の紐が緩みます。

 

 

信仰心を持とう

我が家は仏教徒なので、お墓参りの時にはお経を唱えます。神道も信仰していて神社参拝やお祭りも大好きです。また、台所の神様やトイレの神様とかお天道様とか…あちらこちらに八百万の神様がいらっしゃるかもしれないと思っているのです。

そのうえ、友人・知人にキリスト教徒の方が多いので、誘われればクリスマス礼拝なんかにも参加しますし、旅行の時にはモスク見学やヒンドゥー教寺院見学をしてそれなりに厳かな気持ちになったりしております。

 

つまり、日本人によくあるタイプ、神様や仏様への信仰心が随分と寛大なのであります。あちこちの神様を拝んで、ありがたい気持ちになっております。そしてご利益を期待したりもしています。

私も主人も子どもも、それで良いと思っています。

 

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宗教の中には人を騙したり陥れたりするような悪質なものもありますし、宗教間の争いが起こることもあれば、宗教内の権力闘争もあったりします。

そういう残念なことも確かにありますから宗教との付き合い方には気をつけなければなりませんが、一般の多くの人々にとって信仰とは心の拠り所ですから、その尊い思いを大切にしたいと思います。

  

家族の健康や開運を望む気持ちって、どの宗教を信仰する人にとっても普遍的なものではないでしょうか。また、神や仏を拝むのは、自分自身のこころと向き合う大切な時間だと思うのです。人間も科学も万能ではないと知っておごらないこと、自然を愛すること、人が見ていないところでも神や仏に恥ずかしくない生き方をすること…など…たまには煩悩を祓い、心を清らかにするために神や仏を拝む時間を持ちたいと思います。

信仰心を持つことの意味をきちんと子どもにも伝えておきたいものですね。