思春期の苦悩!
学校や部活で慌ただしく生活しているときは、自分の心に蓋をしてやり過ごすことができるんだろうけれど、長期休みで時間を持て余しているといろいろと考えてしまうんでしょうねぇ。思春期ですもんねぇ。
心のモヤモヤをぶつけてくるわけです、親に。
何気ない会話をしているとき、子どもの発言の中に「焦り」とか「憤り」とか「やるせなさ」みたいなものを感じます。
私の場合、普段の育児は省エネモードにしています。だいたい50~60%程度の力でテキトーに対応しております。ただ、ここぞというときは100%以上の力、200%くらいの力を出すことにしております。
そのタイミングというのは、親のカンみたいなもので判断しているのかもしれません。
で、今日はまさに「ここぞ」という時だと判断したわけです。絶対に子どもに全力で向き合わねばならないときだと感じたのです。子どもからのシグナルを察知したわけです。
ティーネイジャーですからね。ホントにもう、あれやこれや…いろんなことに悩むんです。つまり漠然とした不安!
世の中の不条理だとか、大人の理不尽さだとか、理想と現実のギャップだとか、善と悪の判断基準だとか、本音と建て前だとか、モラルや倫理観だとか、人生のかじ取りの仕方だとか、性の悩みだとか…高尚なことから下世話なことまで、次から次へと思いを巡らせるんですねー。
いやはや、素晴らしいです。もっと悩んで、もっともがいて!!!
世の中を憂い、人生に悩み、明日への道に迷い…探し続けて!
親として、一人のオトナとして、いくらでも話は聞いてあげるし、もっと深く悩みの種を与えてあげることもできるし…。
人類なんていつの時代も、苦悩の連続ですよ。それなしに、偉大な芸術も宗教も哲学も生まれなかったんじゃないかとさえ思えます。
聖書を読んでみたって、人は大昔から似たような苦しみを抱えてきたのがわかります。日本の偉大な文豪たちも、世を憂い、己の不甲斐なさを嘆き、もがき苦しんできたのがわかります。
人としていかに生きるべきか…?自分はどうあるべきか?
永遠のテーマです。
若い人が悩みもがきながら、自分だけの答えを探す姿って良いなと思います。我が子がそんな年齢になったことが感動的です。オカン冥利に尽きます。
母と子で対等に話しています。「問い」を投げ合って、自分なら何を選ぶか、どう生きるか、意見交換をしています。
ティーネイジャーってアイデンティー確立へともがく時期であり、親を一人の人間として客観的に捉えようとする時期でもあるんだと思います。
巣立ち前の悩めるお年頃。モラトリアムの時です。
自分の生き方に悩むことができる贅沢な時間を満喫してほしいものです。感覚を研ぎ澄まして、深く掘り下げて、どっぷりと浸ってほしいですよ。
若い人が苦悩する姿は美しいです!絵になります!!それでいて、滑稽でもあります。
特にうちの子なんて、恵まれた環境に身を置いてますからね。悩もうが苦しもうが、温かいご飯もあるし、見守ってくれる先生もいるし、明るい未来の選択肢があるし…。
子どものことは、もうあまり心配していません。ときどき話し相手になってやって、「生きざま探し」を見守ってやればいいだけです。
子育ての黄金期が終わってラストスパートに入りました。今度は、老いた親の「終活」サポート、「死にざま探し」に向き合うことになりました。絶妙のタイミングです!
さて、私のようなミドルエイジになると、物事はシンプルにしておきたくなります。自分のことで悩むなんて贅沢な時間はなくなってくるのです。だから、余計なものはどんどんそぎ落として、いちいち悩みを抱え込まずに、流れに身を任せて生きていたくなるのです。心だけは軽やかにミニマリストでいたいのです。
ブッタとシッタカブッタ 心の運転マニュアル本 /メディアファクトリ-/小泉吉宏